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密集が怖かった私が、“安全ヘンタイ”になるまで

はじめに:「人が多い場所が苦手です」

私は昔から、「大人数での集まり」がとても苦手でした。
少人数で落ち着いた関係なら大丈夫なんですが、オフ会や懇親会など、十数人〜何十人という規模になると、途端に居心地が悪くなります。

よく誤解されるんですが、「人が嫌いなわけじゃない」んです。
むしろ、1対1でじっくり話すのは好きですし、信頼関係のあるメンバーとなら気楽に話もできます。

でも、関係性が曖昧なまま大勢が集まる空間になると、話す内容、立ち位置、距離感…いろんな“情報”に一気に意識が持っていかれて、心も体も疲れ切ってしまうんです。

満員電車も、新幹線も、息苦しい

これは仕事の移動でもあるのですが、満員電車はほぼ無理です。新幹線も、車両内が混雑していると一気に不快感が増します。高所恐怖症なので飛行機も苦手なのですが、少しでも狭い空間にいる時間を減らしたいので、泣く泣く飛行機を選択することが多いです。(そんなこともありまして、移動のほとんどは車です)

理由はシンプルで、「逃げられない圧迫感」です。誰かが何かしてくるわけではないのは分かってます。でも空気、視線、音、気配・・・全部がまとわりつくようで、呼吸がしづらくなる。

SNSに流れてくる大人数の飲み会集合写真ですら、見ていて「うっ」となってしまうことがあります。
もちろん、それぞれに目的があって集まっているのは分かっていますし、楽しめる人を否定するつもりはまったくありません。ただ私にとっては、「何の役割でそこにいるのか」「誰とどんな関係性なのか」が分からない空間に強いストレスを感じてしまう。それだけの話です。

「自分って変なのか?」と思った時期もある

正直、ずっと思ってました。「我が強いだけじゃないか?」「協調性がないだけでは?」と。

チームで動く場でも、つい言葉が強く出てしまって、空気を壊すことがある。「空気読めない人」と思われてるだろうな…と自己嫌悪に陥ることも、何度もありました。

でもある時ふと気づいたんです。自分が嫌っていたのは、「人」ではなくて「構造のない空間」や「役割が曖昧な集団」だったのではないか? と。

“集団が苦手”なんじゃない。“秩序がない空間”が怖いだけだった

私が強く反応していたのは、
・誰が何を考えてるのか分からない
・どこにいて、何をしてればいいのか分からない
・自分の動きが周りにどう影響するのか分からない

そんな「見えない」ことへの不安でした。だから逆に言えば、役割が明確で、目的がはっきりしていて、秩序だった場なら問題ない。講演やプレゼンのように、自分の立場が明確な場面では、むしろ力を発揮できます。

そんな自分が「チームビルディング」とか語る資格があるのか?

これ、よく自分でも思います。

「チームが苦手なやつが、チームプレーを語るな」
「我が強いのに、協調性を教えるっておかしくないか」
…そんな声が聞こえてくるような気がして、正直ひるむこともあります。でも最近、こう思うようになりました。

チームが得意な人より、苦手だった人の方が“考えてきた分だけ深く語れる”ことがある。

苦手だからこそ学んだ

チームというのは、「仲良しごっこ」ではありません。そして、よくある“勘違い”の中に

「チームワーク=周りに合わせて波風立てないこと」

という誤解があります。

でも現実は、違和感を言葉にしなかった結果が最悪の事故やミスにつながったなんてこともあるはずです。
誰かがあえて「それ、おかしくない?」と声を上げなければ、チームは壊れます。

自分がチームでうまく動けないことに苦しんだからこそ、
・どうすれば意見がぶつからずに済むのか
・何を事前に決めておけば混乱しないのか
・安心して「異論」を言える関係性をどう作るか

…という現場に必要な“機能するチーム”の姿を、ずっと考えてきました。

結局、「安全を守りたい」という感覚にすべてがつながる

私が“安全ヘンタイ”を名乗るようになったのも、この「過敏すぎる感覚」が、実は安全に必要な“違和感センサー”だったと気づいたからです。

・曖昧なルールがあると、すぐに不安になる
・誰かがモヤッとしてる空気にすぐ反応してしまう
・「このまま進めて大丈夫か?」という感覚が拭えない

その全部が、結果的に“現場の事故を防ぐ力”につながっていました。

偶然ではなく、必然だった

密集が怖かった。整った空間にこだわるようになったのは、そのせいかもしれません。大人数が苦手だったから、小さくても機能するチームを理想とするようになった。“空気”に苦しんだから、“空気を守る”ことを仕事にした。

偶然じゃない。全部、必然だったんです。

おわりに

私のようなタイプが、チームの中で浮くこともあるでしょう。
でも、「違和感を言葉にする」役割が許されるチームこそ、本当に強い組織なんだと思います。

そして、今の私が伝えられることがあるとすれば、
それは「チームを信じろ」ではなく

「チームは、つくるもの」

だということです。

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